お互いに環境
突発性編み物熱。
なんとなくなつかしい、昭和チックな座布団を編みたくなった。この花を30個編んでつなげるのだが、わたしのことだから、最後まで仕上げられるかどうか怪しい。そのときはアクリルタワシが30個ということでDPM床褥
。
編み物をしながらDVDで「女の子ものがたり」を鑑賞した。西原理恵子さん原作で、深津絵里さん主演の映画だ。スランプに陥っている漫画家が、地元で仲の良かったふたりの友人との、幼い頃からのエピソードを思い出すという内容だ。編み物をしながらと書いたけれど、手元を見ないと編めないので、半分は聞いているだけだったというのが正確なところかもしれない。のめり込めなかったのには理由がある。
女の子同士の思い出というようなものが、私にはほとんどない。友だちが全くいなかったということはなかったけれど、決まった相手としか遊ばず、かといって深まらず、引っ越しや卒業や進学のたびに関係はプツリと切れてしまったので、幼い頃を知っていて今なお付き合いのある人がいない。消息も知らない。それをべつに寂しいとは思わないけれど、そういう同性の友人を持っていない自分には何か欠点があるんだろうなぁという漠然とした不安みたいなものはある。
ああ、そうじゃないな樂觀的人。
もしも、子どもの頃からの私を知っていて、お互いに環境が変わってもずっとつきあいが続いていて、喧嘩をしたり、ときには疎遠になったりしながら、なんだかんだ言っても大好きと言って認めてくれる同性の友がずぅっと居たのなら、長年のそれはひとつの自信になっていたんだろうなぁと思う。そして、もちろん私もその人に同じだけのものを返せただろう。
私はいつも、つきあう男の人に親友的な部分をも担ってもらっていたのだけれど、どうせならもっと同性を見て、愛せば良かったのかもしれない。
深い意味は無い探索四十 洗腦もっとも、映画の設定は小さな田舎町だったので、町を出ない限り長年同じ友人といるしかなかったのかもしれない。